ネットな生活 と それまでの過程



大学卒業して展覧会に参加することもめっきりなくなった。
今では年1回のグループ展「烏合の衆」だけ。

ずうっと絵を描きたかった。
剣道をしながら、テニスをしながら、受験勉強をしながら、、、
大学で美術部に入ってから絵に専念できるかと思ったけど、
そんなことはなかった。
ヤル気ない人が意外に多くて途惑った。
それでも色んな経験を得る機会は格段に増えたし、
色々考えるきっかけにもなった。
今では働きながら絵を描いている。

就職活動する時あれこれ考えてみた。
絵の方面も調査してみたけど、
自分の思い通りにはいかないことが解った。
それでもその業界に就く事で
何らかのつながりをもっていようとも考えたけど、
考えたあげく、
金儲けと創作活動はスッパリ切り離そうということにした。
そこで、これからはコンピューターだ!
って事でその業界をあたってみた。
ただし、自分の時間だけは確保できるということを第一条件で、
あと両親は高齢だし長男だし大阪で近場で、とか。
わりと生活的な事情で就職先を決めていたりする。
けど、おかげで今は少し時間に融通が利く。
というか職場の人が融通を利かしてくれる。感謝。

個人での発表の場ってのはなかなか無い。
個展をして影響力を及ぼす程の力もないし、
公募展でも落選した。
唯一残っていたグループ展ってのにすがる思いだったけど、
これに全てを賭けるというほど大規模なものではない。

ある日('96.12)、四国で友人の結婚式に出た時、
美術部の友人から、「パソコンかって〜」「う〜ん 別にイイよ〜」
とかいう軽いノリで中古のパソコン一式を売ってもらった。
それからコンピューターグラフィック(以下CG)を始めることになった。
しかしCGと言っても私の場合3Dポリゴンとかではなく、
結局アナログな作業で作成されるタイプだ。
あまりの手軽さに驚きつつはまる。

夏頃('97.4.末)、プロバイダーに加入する。
個人ホームページを開いて創作創作している人たちを観て、
自分もやってみたくなる。
ちょっとした個展を開くみたいでドキドキした。

同年
7月ぐらいから試験的にアップしてみた。非公開。
8月中旬に3webのユーザーズホームページに登録してみた。
9月1日にカウンターを設置。
毎日5〜6件のアクセスがあることが分かった。
自分とニックラム以外にも
見知らぬ誰かが観に来ていることを知り一人喜ぶ。
たった数件でもほんとに嬉しかった。
10月頭に恐る恐るYahooJapan!に登録してみた。
1日あたりのアクセス数が1ケタ増えて驚く。
結構かなり自分的に大騒ぎした。
初めて戴いたメールは文字化けして読めなかったけど、
(^_^)マークだけが化けないで私を励ましてくれた。

掲示板を設置したが、主にニックラム専用の伝言板となっていた。
極まれにだが一見様の書き込みがあった時には、
もう大事件でもおこったかのよう。
その掲示板も1月上旬にAOIAからの書き込みがあって以来、
書き込みをして頂けるお客様が激増した。感激。

他の方々の掲示板上で楽しそうに会話がされているのを
”あぁ楽しそうでいいなあ、しかし自分とは無縁の世界だ”
と、憧れと諦めの心境で観ていた。
和気あいあいとしたイイ雰囲気の掲示板などをお持ちの
人気サイトのお人というのは、
私の中では有名な芸能人と等価値だったのだ。
しかし少なくとも私はただのおやじだ。

’98年3月13日に始めてのオフ会に参加する。
初対面でありながら、いきなり深い話題に雪崩れ込む。

学校や会社で出会う人たちというのは
たまたま偶然集まった集団で、その中から気の合う者同士集まって、
共通のナニかを見つけたり、創ったりする。
しかし、ネットでは先に共通のナニかがある所に、
気の合いそうな者が集まってくる。
そのせいか、オフ会などで会う方々は初対面なのに既に仲良し。
話始めの時に、敬語を使うのか慣れ慣れしくしていいのか、
を少し考えてしまうかな。

とにかく、こうしてすっかりネットにはまってしまった。
平日、家に寝に帰るだけの様な生活はもう絶対に無くなってしまった。
コミュニケーション手段としてこんなに便利なものはない。
絵を描くのにもハリがでる。

少し困ったことといえば、
逆に、以前より人恋しくなったことだろうか。
今まではそんななまっちょろい感情など私には無かった。(-_-)う〜む。



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