フリーとかシェアとかいう作品



「子供だまし」ならぬ「おやじだまし」の様な
「こんなんでそんな金とるか〜 (>_<)ノ」
というものが恥ずかしゲも無く大きな顔でのさばっている。
が、時々、それとは反対に、
「こ、これが無料か〜 ええのんか〜 (@_@;」
という優れたフリーソフトを見かけることが希にある。
そんなものに出会った時、私は得したと思うと同時に

カッコイイと思ってしまう。

騙してでも儲けようとしておそまつなものをバラまいたり、
たいした物でもないのに神経質なくらいに権利を主張して
攻撃的な姿勢をとる様子を目の当たりにすると、
嫌な気分になる。
別にそれが悪だとは言わない。
自由にしてくれたら良いのだけれど、
ちょっと淋しい。いや、ほんと勝手な言い分なんだけど。

反対に
純粋に己の才能を発表することに重きをおいた
クリエイターの方々の様子を見ると、
向上心というか冒険心というか、
とにかくそういうものまで分けてもらってる様に感じて、
ちょっと嬉しい。
その種の頭脳に出会った時には少し感激すらする。

10歩譲ってシェアウェアにも
敬意を表するに値すればお金を振り込んだりする。
得した儲けたと言うよりも敬意を表す行為として。

話は変わるが、私は、
会社の仕事でプログラムを組むことがある。
COBOLを扱っているのだけれど、
まあ、あんまり面白くない。
会社から給料を貰うという事情からモノを造っているにすぎない。
自発的ではない。
したがって要求以上の努力と向上はあまりない。
別に私でなくとも多少の知識があれば
誰にでも同等かそれ以上のものを造る事が可能である。
そこに個性といったものは無いし必要ない。

つまり、お金を貰うからモノを造る者の姿勢とはこの程度なのである。

それに対して好きでモノを創る者の姿勢は素晴らしく強い。
「極める」という事を最大の目的にした人間はある意味無敵である。
カッコイイのである。

そのソフトは単なるプログラムと言うのでは無く、もはや「作品」である。
古い過去に習う例がないので誰も気付かないでいるが、
プログラミングというモノは音楽や絵画などと同じ媒体である。
なんらかの「素晴らしいモノ」を伝える「芸術の媒体」なのである。
固定概念のニュアンスにとらわれて異質に感じるかもしれないが、
芸術の1分野として学校の美術の本に載せてほしいものである。

だからそういった芸術家にはガンバって
もっともっと良いフリーソフトを創って欲しい。

等と最終的に自分勝手な欲求だけ述べつつ、
今夜はこれにて。



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