観てもらうという事



今回は数有るホームページの仕様方法の中の1パターンを
引き合いに出しますけども。

みんなホームページってどういう使い方してるんでしょうか?

わざわざホームページを作るってことは見て欲しい「ナニか」
があるってことを大前提で考えるのは間違いでしょうか?

それは例えば、
誰もが観てみたいと思うような作品群である場合や
主義主張、ビジネスに役立てる為の広告、簡単な自己紹介、等々。
程度の差こそあれ「ナニか」が有ると思うんですよ。

私も
「自分の描いた作品を少しでも多くの誰かに観てもらいたい」
っていうのが1番の理由です。
あまりにもありふれた月並みなお題目なんだけど、
これはマンネリとかワンパターンとか言われる種類のものではなく
全クリエイター共通事情の王道だと思うんですよ。

「観てもらうことによって得るもの」は、
結局「自己満足」で片付けられたりもするんですが、
そんな安っぽい四字熟語で済むものでは断じて無い!

もっとも「得るもの」が結果として現金に換金できた場合は
世間やなんか良く分からない人達も評価してくれる様ですが。
いや、金銭的価値が付くこと自体は良いんですよ。
それはそれで一つの「結果」。
ないよりはある方がイイに決まってる。

ただ、それだけで残りの全てを決めつけて否定せんでほしいってこと。

う〜ん 大阪だからかな(失礼)。
「なんぼのもんなん?」的なこと言われたりするんですよ。
そりゃあ絵だけで生活できたら、それは夢みたいな話だけど、、、
はっきり言って、今は「絵で生活」ではなく「絵の為に生活」です。
でも、これはこれで理想的でもあるように最近思う。
経済的束縛のないところで創作活動できるってこと。
それに、こういった活動の為に働いてるって思えば
平日の仕事もたいして苦にならない。
ただ、時間だけはどうしようもなく無いけどね。

世の中は目に見えて直に触れる事のできるものには
神経質なぐらいがんじがらめに出来ているのに
そうでないものにはあまりにも適当、
というか屈辱的扱いをしているのでは、と思うこともあります。

自己満足できる人っていったい何人いるんでしょうか、
どういう時に自己満足できるんでしょうか、
イイ車を手に入れた時? 奇麗な洋服を買った時? 贅沢なお酒を呑めた時?
それも確かに自己満足といえばそうだけど、
それは「自分一人で満足している」という意味。
物品を手に入れた事に対して満足しているのであって、
「自分自信に満足している」のではない。

観てもらうことによって得る自己満足とは
「自分で満足」ではなく「自分に満足」なのである。

そしたら「ナニか」を表現したりするような器用さがなかったり、
誰ともしれない世間の誰かに主張したりする程のモノがない人は
ダメってこと?
いいや、そんな事も断じてない!
表現する事よりも簡単で大事なことがあります。
それは、感動するこころ。

誰か、又は自然の「ナニか」に出会った時、
それに感動できたなら、そんな自分に満足すべきである。

その感動のおかげで他の誰かがまた感動する事も有る。
幸運にも同じナニかに感動できる仲間に出会える事もある。
そして、そこから新しいナニかが生まれる事がまた多い。

そういった、目にみえないある種の幸福感みたいなもの(?)は
お金に換算したらいくらでしょうか?
5000円? 10,000円?
私なら、例えばだけど
1億円やるから残り一生分の絵に関する能力は無し。
とかって言われたら断りますよ。

それで?結局どれ程のもんを創ってるんだ?
って質問されたら、、、(-_-;
いや、少なくとも努力は、、、、、、(-_-;;;;;;
って言うか、
モチーフやテーマがそもそも一般向けじゃないものね、私の場合。(←言い訳)
だからそれだけに受け入れられたりしたら嬉しい。
絵の話が出来る人と出会えたら嬉しい。
そんな訳でホームページ開いてる価値ある。
いろんな意味で自己満足している。

(だからもっともっと精進すべきであることは言うまでもない)
(ごめんなさい)



MEMO 製作環境等々 始めに戻る