聖少女の美学 |
美少女ではなく聖少女である。 美少女と決定的に違うのは性欲の対象にはなり得ないという事。 時々若くて清楚そうなモデルのヌード写真に対して 聖少女と銘打ったエロ本の類を販売しているケースもあるが あれは出版社が営業の為にしている事なので妙な先入観は捨ててもらいたい。 基本的に聖少女=エロではない。 話はそれるが、これと似た事例で、 音楽関係の単語としてよく使われるハードコア,インディーズといった単語に対して アダルトビデオとだけ直結する困った頭を持つ人も多い。 あれは本当に困る。 まあそれはそれとして、(-_-)ノノロ 聖少女の正しいイメージとは、 汚れが無く、正義の精神を持ち、慈愛にあふれた清く美しく可憐な少女。 一切の汚点が無いはずなのに何故か悲しげな憂いの表情が似合う。 といったところであろうか、 とにかく「そんな女ぜってーにイネーよ」ってな感じであればあるほど良い。 聖少女を表現作用によって表出させる時、 その特性から発せられるモノは純粋に精神に働きかける種類のものである。 だから聖少女の外観は中性的であったり、女になる前の年齢である。 (と、ここまで書いて気づいた事。 私の描く天使はわりかしグラマーなねいちゃんが多いのですが、(^_^; 必ずしも天使=聖少女ではないということでお願いします。 言い伝えでは天使の中には堕天使になる者もいるし、 愛欲の末人間と結ばれる者もいますので。) 聖少女とは実在の女性とかけ離れているのが相場で、 そういう意味では空想上の生き物と言っても良い。 どんなに理想の女性がいたとしても、 いわゆる聖少女と定義されるイメージにぴったりの娘がいたとしても、 それは人間という生のものである。禁欲的ではない。 聖少女とは実在の女性から邪悪なもの,都合の悪いものをすべて抜き取った 完璧な偶像であり実在はしない。 しかし、完全無欠かと言うとそうではなく、 人間としての悪い部分が抜けている分むしろ不完全な存在なのである。 ゆえに、儚い。 善だけのものなどありえない。 悪の方が甘美で都合が良く理にかなった事が多いはずなのに、 人は聖なる者を憧れ聖少女を求めてしまう。 それはもしかしたら、逆に、 人間がどこかへ置き去りにしてしまった心なのかもしれない。 人間も不完全な存在なのである。 |
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