怖さの演出



「中国人は暑い時熱い茶を飲む」と言うのは
何も中国人は変わり者が多いと言っているのではなく、
熱い暑いと言って熱いお茶を飲んで、より高い暑さを体験したら、
それ以前の暑さはさほど気にならなくなる、と言いたい訳です。(多分)
これから学ぶ事は、
暑いと言うからには暑くない状態が前提としてある訳で、
その温度差を指して暑いとか寒いとかが区別できるという事。
上記お茶の例ではこれを応用して錯覚の様な「涼しさ」を誘発させている訳で、
結局根本的な解決にはなってないのですが、
まぁそういう突っ込みは置いといて、(-_-)ノノロ
とにかく、人間の感覚というのは何かの前提があってのものである、
と言えるケースが多々あるという事です。(全てとは言いません)

これは絵にも応用できる事で、例えば、
人は誰しも無意識の内に「常識」や「公式」を持っていて、
これにフィットしているものを「落ち着く」とか「安心する」と感じます。
これを絵にした場合は上手に表現しないとおおむね、
「つまらない」とか「あじけない」などと評されます。
まぁそれはそれで置いといて。(-_-)ノノロ
今夜はそれを逆手に取る方の絵、つまり、
刺激の強い絵、特にホラー絵について語ります。

いきなり話は脱線しますが、分かり易い例としてエロ画像とかで、
ペッドですっぽんぽんのねいちゃんがカモ〜ンとかしているのより、
可憐な美少女が恥ずかしそうに求めている様子の方が男のツボをつく(?)
というやつ。
簡単に解析すると前者は「あたりまえ」で後者は「意外性を含む」のです。
前者の様な「いかにも」ってやつもナカナカ良いのですが、
ドキリとはしません。

ホラー絵の場合は特にこの「ドキリ」の比重が高い訳で、
その為の演出を考える必要があります。

例えばあまりにもゴテゴテしすぎているお化け、
その恐さは「襲われたら生命の危機である」という意味の恐さであって、
「恐い」ではなく「危険」、「お化け」ではなく「怪獣」です。
トラやライオンなどの猛獣が恐いというのと似たタイプです。
また、あまりにも常識から逸脱しすぎていると「別世界のもの」という
精神的な壁に守られて感情移入もされません。
なので、
生活感に密着したリアリティー溢れる絵の方が「怖い」と言えます。
特に、普段気にもしないくらいになっている
心の根底に位置する常識や公式を脅かすものが有効です。

月並みな例では
バックミラーとか洗面所の鏡というアイテムを利用した
誰もいない「はず」の場所に誰かが立っている、というやつ。
最近ちょっと有名なものでは
「普段」使っている「自分の部屋にある」テレビから
女のお化けが這い出してくる、というやつ。
これらは
その生活臭漂う生々しさや深い現実味から、実感しやすく、
目から頭ではなく、肌から体内に進入してくるような恐怖を演出します。
絶対大丈夫という既成概念を覆し不安にさせるという要素が
怖さに良い味付けをしているのです。
お化けそのものはただ立っている「だけ」だったり、
五体満足な女の人だったりします。
つまり、観る人はその姿形に脅えるのではなく
シチュエーションなどの異常性に恐怖しているのです。
応用例では、
泣いている幽霊よりは笑っている幽霊、
ギロチン下の生首よりは雛壇の中央に飾ってある生首の方が恐いです。
ここまですると意外性や異常性と言うレベルではなく、
既に狂気じみていますが、
要するに人間が最も恐怖する根元とは一言で言うと、
「狂い」
なのかもしれません。
幽霊にしろゾンビにしろ自然現象の狂いに他ならないのですから。

以上の事から恐い絵を描く時には、
まず前提となるシチュエーション作りから考える必要があると言えます。
「常識からの逸脱」を上手く分からせる為に
その片鱗を画面内に上手に配置する工夫と題材探しの方が、
お化けの容姿よりも重要な場合が多々あります。
とりあえずは「狂ってはならないもの」「狂ってほしくないもの」から
手をつけてみるのが良いかと思います。
その為にはデッサンなどの技術力はあるに越した事はありません。
説得力(←これ大切)の手数が豊富になります。

ただ、これさえも1パターンにすぎません。
コノテーションによりドキリとくる不気味さを主軸にするタイプの絵を
描くときには有効だと言えるという事です。

では、ずいぶん長文になってきましてので今夜はこの辺で。(e_e)



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