需要と供給



基本的に美術やってるんだけどマンガやゲームにも理解がある。
のではなくて、
もともとマンガやゲームな人だけど美術もかじってる。
です。私の場合。

だから現在ではほとんど描かなくなりましたが昔はいわゆるアニメ
絵と言われるものも描いていました。
今描くのが少なくなったのは、今の「多少リアルっぽい絵」の方が
描いていて面白いというのと、なるべくホームページ全体のトータ
ルコーディネイトを合わせたいからという理由からです。

・ 描いているときは自分で楽しみ、出来た後は観てもらう人にも
  楽しんでもらう。

と言うのが基本ですが、わざわざニーズの少ない今の画風を通して
いるのは多少自分の楽しみの方を優先させているという事かもしれ
ませんな。へ(-。-)ノまあ趣味だし。
これが仕事となると

・ 描いている本人は不本意だけど、完成品は非常にニーズに答え
  得るものである。

という感じになるのでしょうか。大なり小なり。
あと残りのパターンは

・ 描くのは楽しいけど、観る人にとってはつまらん。
・ 描いていて苦痛だし、観る人も災難。

かな。(^-^;
前者はまだしも後者の絵っていったい、、、、

ただ、趣味でありながら利益がからむ場合。例えば同人関係の作品
やシェアウェアといったものでは、

・ 創っていて多少は苦痛だけど楽しめるという意味でもまだなん
  とか許せる範疇で、観る人や利用者にとってもそこそこでまあ
  まあだったり客層そのものが特定の範囲に限られてしまう。

という、複雑な気分になってしまう様な現状になります。多分。

自分の好みと大衆のニーズが偶然一致するというケースもあります
が、大衆のニーズというのは常に移り変わってゆくもので、思いの
ほかすぐに飽きられてしまうというのが現状です。
そしてしばしば流行を追いかけて行ったきり自分の方向を見失って
帰ってこれなくなる事もありますので御注意を。
もっとも、常に時代の方が自分の後をついてくる。みたいな奇才天
才の方はこの限りではありませんが、そんな人間今までに見たこと
も聞いたこともありません。

あぁ、話が脱線したので戻します。
この様に創作物には需要と供給の関係があるわけですが、この需要
にも種類がある感じですね。大きく分けて2つ。

1つは作品を作品としてとらえるもの。
1つは単なる情報や素材としてとらえるもの。

今まで、オフラインの展覧会などでは、結果として好評だったり悪
評だったりする事はともかくとして、最低の前提条件として作品は
作品として扱われたものですが、ネット界では作品は作品扱いすら
されず単なる情報やデーターとして扱われたりします。
「作品」ではなくて「画像データー」とか「素材」とかいう言葉で
呼ばれているのが顕著な例です。
この「美術業界での常識は通用しない」あたりで今まで画家様気分
でいた人種はついてこれなくなるでしょうね。または嫌われる。
私も美術&オタクでなければどうだったか分かりません。

などと、ネット上での絵の需要というものについて少し考えてみました。

つづく。(多分)



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