職人さんの仕事、チラシからマットペイントまで



 世の中では実用目的で無いものに対する芸術的価値をどうこう言
うことは多いですが、実用的であるものには芸術的価値を与えませ
ん。
 私の職業で例えを言うとプログラムなどは良い例です。芸術品と
して表彰状ぐらいあげたいものに出会うこともありますが、密かに
分かる人からだけ尊敬される程度の扱いしかありません。誰も「作
品」とは呼ばない。
 もっと分かりやすい例だと漫画もそうですかね。
 最近徐々にではありますが認められつつあるとはいえ基本的には
商品扱いです。まだ「作品」と呼ばれるだけマシですが。

 そんなふうに世間からは芸術的価値を与えられることは無いけれ
ど個人的に「作品」だなあと思うものを少し話したいと思います。

 まず1つめは昔の不動産のチラシ。
 現在ではCADなどで手軽になったかもしれませんが昔は手書き。
テクノロジーらしいものと言えばせいぜいエアブラシ。
 当時は密かに不思議に思っていました。
 複雑に入り組んだ多くの線。それでいて寸分の誤差も無いパース。
世にあふれている絵画でこれぐらい精密なものは無いのではないか。
設計図に基づいた間違いの無いイメージをなんだか当たり前のよう
に描き出す。しかもそれとなく大量生産っぽいんですが。
 これだけの技術があれば何か他にすごいことができるんじゃない
んですかねっ。(@_@) とか、建築関係のことをちっとも分かって
ない発言なんですが、過程や仕組みはどうあれ単純に「絵」として
見た場合、やっぱり納得がいかないくらい綺麗に描けていると思い
ました。

 2つめは看板。
 私は大学の頃学園祭実行委員とかで看板の絵を描いたりすること
が多かったのですが、そんなこともあり、
「小さい絵なんか下手糞でも描ける。むしろ小さい絵しか描けない
のは下手糞。本当に上手くなりたいのならでっかいキャンバスに描
け」
 などと、身の程をわきまえないで後輩たちに向かって偉そうなこ
とを言っていました。今考えると恐ろしいことですが先輩としての
強気も少しは必要だったのです。ごめんなさい。
 それはさておき「男なら筆一本ででっかい絵を」という意気込み
が大切という意識は今でもあります。実際、PCなどの便利ツール
が無かったり、大きな絵を描くとなるととたんに描けなくなるのは
少し、ちょっと、と思い自分に言い聞かせてみたりもします。
 なので、舞台の背景や看板や壁画をペンキと刷毛で綺麗に描き上
げてしまう現場の職人さんたちのお仕事には感嘆します。ある意味、
しょうもない画家の自己満絵よりもよっぽど凄いんじゃないかと。

 最後に極めつけがマットペイント。
 これは映画の背景を2Dで描くものです。
 もちろん実写との合成になるので半端でない写実性が必要です。
 だいたいフォトショップで描かれているそうですが。
「遠景の広大な景色を実際のセットや3Dで作成するとなると莫大
な時間と経費がかかるのでこういったものがある」と関係者の方は
おっしゃいます。
 ちょっと待った。
 いくら予算の都合がどうとか言っても、あんなに極麗な背景を描
く人が当たり前のようにいるものなのでしょうか。(@_@)映画業界
恐るべし。
 いくらPCとソフトの力を借りているとはいえ、2Dである限り
は基本的に手描きです。
 職人の神業だ。
 これの存在を知った時には自らの絵筆を折ろうかと思いました。
 でも折らにゃい。

 あと、商業作品全てに対して言えることは、自分の好きなように
描くのではなくクライアントの気に入るように描かなければいけな
いということ。たとえその趣味が悪くとも。
 まず要求があって、それを実現する為の案をあげるのだけれど、
それに関わる企画の担当者やとりまきやお偉いさん方が、あー言え
ばこー言うのいちゃもんを浴びせかけてきます。
 おやぢ社会の悪い一面として、とりあえずケチをつけないと仕事
した気にならない、理屈はどうあれイチイチ目先の相手を打ち負か
さずにはいられない慢性論破病患者が多いので大変です。
 どんなに良いものを考え出してもそういう人たちに潰されてしま
うのです。
 なので、どう転んでも正解になる選択肢を提出してまるめこむ戦
術的技術も商業絵師には求められるので、その苦労も折り込むと彼
らの業績は計り知れません。(^-^;



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